大己貴神と少彦名神

<そして大神神社のはじまり>

今回は、大神神社ご祭神の「大物主大神」(おおものぬしのおおかみ) が三輪山にお祀りされた由来を、「大己貴神」(おおむなちのかみ)と「少彦名神」(すくなひこなのかみ)のお話から始めましょう。

「古事記」によれば、少彦名神は神産巣日神(かみむすびのかみ)の子。

「少彦名神」は神産巣日神に命ぜられ、海の向こうの常世の国(とこよのくに)から「ガガイモの実の船」に乗ってやって来ました。(常世の国とは、古代日本で信仰された海の彼方にあるとされる異世界のことです。)

少彦名神は豊かな知識と技術をもつ知恵者。医薬や穀物、温泉、酒造の神様として今も人々に崇められています。人望があり徳のある大己貴神(大国主神)とタッグを組み、土木・治水などの高度な技術をもたらし、この「地上界」葦原中国(あしはらのなかつくに)の国造りに励みました。

ところがしばらくすると、少彦名神は常世の国へ帰ってしまいます。まだまだ国造りは終わっていないのに。大己貴神(大国主神)は「これから一人でどうやって国造りを進めればいいんだ…」と頭を抱えて悩みます。

そんな悩める出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に、海を照らして神が現れ、こう言いました。

「私はあなたの幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)。国造りを成就させる為、私を倭の青垣、大和国(やまとのくに)の東の山に丁重に祀りなさい」と三輪山に
まつ
られることを望まれました。

この神様が、「三輪山」に鎮座する「大物主神」。

現在の三輪明神・大神神社に祀られている神様です。

奈良県桜井市三輪山

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